2009年6月20日土曜日

天然記念物 深泥池生物群集

深泥池(みぞろがいけ)は京都盆地の北端にあります。

面積9ヘクタール、周囲約1.5㎞のこの池は、氷河時代以来の動植物が生息している大変貴重な場所で、国指定天然記念物になっています。
と、いうことなのですが・・・

(記事はタイトルを変更して下記サイトに移動しました。)

ふぉっとする京都
深泥池には水がない?

2009年6月9日火曜日

野仏庵

一乗寺下り松から東へ200m、八大神社のすぐ近くにあります。


よし葺の美しい門と土壁が印象的でした。


西園寺公望が新撰組に追われ、丹波に身を隠した際の家の門だということです。


門の前には一対の羊の石像が置かれていました。

その名のとおり庭園には多数の野仏が置かれているようですが、今回は中には入りませんでした。


これは近くの路傍の布袋様

思わず笑顔になってしまいました。

2009年6月7日日曜日

詩仙堂2

建物の中からはそれと分かりませんが、さらに下の方に庭が続いています。


庭への通路(写真奥が入口)



さつきと嘯月楼(しょうげつろう)




庭園の池と残月軒


石段の下には、また趣の異なる庭が広がっています。



凹凸窠というその名のとおり山の斜面に沿って広がる綺麗な庭園は、仙境を思わせるような空間でした。

2009年6月5日金曜日

詩仙堂1

詩仙堂は正しくは凹凸窠(おうとつか)というそうです。
でこぼこの土地に建てられた住居という意味で、建物や庭園は山の斜面に沿って作られています。

一条下り松から坂道を200mほど上がった所、八大神社の手前にあります。


道路沿いにある詩仙堂小有洞(しょうゆうどう)の門


参道 奥が小有洞


参道を登った所にある老梅関(ろうばいかん)の門


建物の中から見る老梅関と前庭




さつきに囲まれた白砂の庭


詩仙の間からは、また異なる趣が楽しめます。



洗蒙瀑(せんもうばく)

蒙昧を洗い去る滝という意味だそうです。


手水

2009年6月4日木曜日

常盤稲荷神社

洛北、一乗寺下り松から東へ200m
八大神社本殿東の小道を辿ると、木立の中に常盤稲荷神社の鮮やかな色の鳥居が見えてきます。



小さなお社ですが、近寄ってみると立派な造りになっているのがわかりました。



柱の上部には、象と狛犬(獅子)



狐と共に、ちゃんと阿吽(あうん)の形になっています。

2009年6月3日水曜日

一乗寺下り松

八大神社から坂道を200mほど下りた所にあります。

ここで慶長九年(1604年)剣聖宮本武蔵が吉岡一門と決闘したと伝えられています。

一乗寺下り松と「宮本 吉岡 決闘之地」の石碑

現在の松は昭和57年に植えられた四代目だということです。



石段を上がった右にある「大楠公戦陣跡」の石碑

ここは、建武三年(1336年)楠木正成が足利軍と対峙して陣を敷いた地でもあります。




「ちから石」も置かれていましたが、由来はわかりませんでした。



写真右が下り松、正面に見えるのは霊峰比叡山と八大神社の大鳥居

下り松は古くからの交通の要所で、北(上の写真左)へ曲がると白鳥越え、東(鳥井の右)へ向う道は今道越え(志賀越え)、共に比叡山を越えて近江へと至る平安時代からの古い街道だそうです。



分岐点にあった「左ひゑい山」の道標

一体、どれくらいの人々がこの道標を頼りに旅をしたのでしょうか。
古いもののようでしたが、山の字は半分アスファルトに埋まっていました。



八大神社の大鳥居

フェンスで囲われていて、くぐることはできません。



地蔵堂

かつてはこの周辺の路傍に立っておられたのでしょう。10体ほどのお地蔵様が安置されていました。



八大神社近くの、「昔ながら」という雰囲気のお店

せんべいや羊かんなどが並んでいました。

2009年6月2日火曜日

八大神社

洛北の一乗寺にある 八大(はちだい)神社


由緒書等によると、

八大神社は永仁2年(1294年)からある一乗寺の氏神さま

御祭神は 素盞嗚命(すさのおのみこと)稲田姫命(いなだひめのみこと)八王子命

都の東北隅、表鬼門に位置しており、方除・厄除・縁むすび・学業の神様として厚く信仰されている
 
とのことです。

坂道沿いにある鳥居



雰囲気の良い参道


龍の手水所


石段下から仰ぐ社殿


拝殿




社殿全景



「一乗寺下り松」といえば、宮本武蔵が吉岡一門と決闘した場所として有名ですが、
その決闘の時代の前から昭和二十年頃まで生きたという下り松の一部が、本殿の西側に祀られています。

下り松の古木が祀られている社


また、その側には宮元武蔵のブロンズ像が置かれていました。
少年のようなその姿は、私が抱いていた剣聖のイメージとは違いましたが、決闘時の武蔵は21歳だっとということで納得しました。



小説で、武蔵は「勝たせたまえ」と八大神社の神に祈ろうとしかけましたが、思い直し、祈ることなく決闘場所に向いました。
それは「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」という剣の悟りを得たから、とのことです。

2009年5月25日月曜日

熊野若王子神社

若王子という社名は天照大神の別称若一王子に因んでつけられたとのことです。
 
 

哲学の道南端、疎水に架かる若王子橋を渡ってすぐの所にあります。
 
 

入口の石段右にご神木がありました。
 
京都府内で最も古い梛(ナギ)の大木で、古来紀州熊野三山詣や伊勢参宮などの折、ミソギの木として用いられた珍しい樹木だと記してあります。
 
 

若王子神社 拝殿

ニ礼ニ拍手が珍しかったのでしょうか、
若そうな外国人女性二人が不思議そうな顔をして私を見てました。
 
 

 
 
 

末社の夷川社 恵比須殿

恵比須さまの木造寄木造等身大の座像が安置されていました。
 
 
 
社務所横の「瀧右」の道標
 


道標に従って急な坂道を登ると
末社の山神社と本間竜神がありましたが、だいぶ朽ちた様子でした。
 
 

さらにもう少し登ると末社の瀧宮神社がありました。

横に崖があり、下に川の流れがありましたが滝は見えませんでした。
後で調べたところ、坂道の手前に滝へ行く道があるようです。